お前は笑うな。

24才の書店員が、日常の「憂さ」を本(漫画・小説)や映画などのエンタメで発散するブログ。

【人生】会社は正直楽しい、楽しいから辞めようとおもった。

 

ウェブ書店員として働き始めて約2年が経ちます。

内定者時代からインターンとして定時勤務で人事を経験しました。

本入社して以降は、いわゆるwebマーケティング。

 

社会を、そして会社を、何も知らなかった自分が、この2年を通して考えたことを。

 

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会社員として、2年間で考えたこと

 

自己啓発本の胡散臭さで書きます。

 

やればやるほど、楽しくなる

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まず一番に分かったことを、ブラック企業よろしく声高に言いたいんですが、仕事はやればやるほど楽しくなります。(僕は。)

業務内容以上に、それに没頭してみることがもたらす幸福感って凄いと思うんですよ。

 

以前ニュースで残業時間と幸福度の相関グラフが取り上げられていましたが、

 

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参照:https://mainichi.jp/articles/20180209/k00/00e/040/321000c

mainichi.jp

 

基本的には、残業時間の多さに反比例して幸福度は落ちていくのですが、残業時間が60時間を超えると、それ以下の時より少し幸福度上がっちゃうんですよね。

 

これ、めっちゃ分かる笑

 

 

いわゆるランナーズハイ的なことだと。

「うおおおおお、仕事してるぜええええ」っていう。

 

この感覚、僕はめちゃくちゃ大事だと思ってます。

 

もし目の前にあてがわれた担当業務が自分の興味関心の枠外にあったとしても、徹底的に追及すると面白くなってくる。

頭の中で「プロフェッショナル仕事の流儀」のスガシカオ流れてる状態。

ここが私のアナザースカイ。

 

だから正直今も楽しいし、このランナーズハイの最中にあるようです。

 

「残業時間を減らす」ことは本質ではないんじゃないですかね。

だって残業時間が0になったところで、この「うおおおおお」っていう感覚を得られなかったら、あんまし楽しくないんじゃないかなと思います。

 

僕は仕事を深掘りすることで、「あれ?楽しいぞ」ってなる。

それは、職責を果たす手段の目的化のようで、それはそれでどうなのかとは思うものの、残業時間に関わらず「やりがい」が担保されているから楽しいわけです。

 

つまりは、この「やりがい」ってやつの見出し方に議論をシフトする必要があるということ。

※残業を奨励しているわけでは、一切ありません。という免責を取り急ぎ。笑

 

 

「社会的意義」も「やりがい」も自分から見出すもの

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じゃあ、この「やりがい」ってよく分からんボヤッとしたものが得られるようにするには実際どうしたらいいんだろうと、考えました。

 

一つ働いてみて分かったことは、この「やりがい」も、ひいては大それた「社会的意義」も、自分で見出していくものだということです。

 

「漫画を売る」というビジネスだって、その広告部門を担当する仕事だって、「世の中にこんな面白いエンターテイメントがあるんだって広めてるんだよなー」と考えれば、なんだか意義深く思えてくるし、やりがいの足しになるわけです。

漫画を買うことを楽しみにしている人々の「あした新刊が出るから、きょう乗り切ろう」を作ってるわけです。

 

誰かに教えてもらうとか、条件を提示してもらうとかではなく、たぶん自分から見出した方が「やりがい」は「やりがい」として機能するんじゃないかなと。

 

その逆は萎える。

お母さんに宿題やったのって聞かれて、今やろうと思ったのにーのやつです。

 

 

会社は計画的偶発性に満ちている

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会社員として「やりがい」とやらに突き動かされながら働く僕には、いろいろな出会いが待っていました。

ただ、僕はそれを想定して会社員になったのも確か。

漠然と、「会社員になって出会う人たちに影響されて、きっと自己実現に繋がるヒントが見つかるんだろうなぁ」と思っていました笑

 

得てして、そうでした本当に。笑

 

こういうのをPlanned Happen stance(計画的偶発性)というらしいです。

 

コンテンツを売る側から作る側にシフトしたいと思っていた自分に、仕事でお会いした編集者が話を聞いてくれた。

 

同世代のライターの方々が、ブログという発信方法を教えてくれた。

 

組織に属していなかったら、こういった出会いもなかったし、いまこうして自らのメディアを通じて書いている自分もいないと思うと、会社員として現職を選んだ就活生時代の自分にグッジョブスタンプを買ってあげたい。

 

偶発的な出会いを計画するって、なんか粋だなぁ。

 

 

組織も他者も、大きくは変えられない。だから自分が変わるのみ。

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計画的偶発性がもたらした人との出会いのなかで、真理だと思ったことがあります。

それは「組織も人も、変えられない」ということです。

 

もちろん影響を与えることは幾らでも出来るし、他者に影響されて自己が形成されていくことも事実です。

だから、ちょっと言いすぎな気もしなくもないですが、正確には、

「自分が変わろうとしないならば、(組織も人も変えられない)」と。

 

行動主体を自分に持ってきたとき、初めていろんなものがグングンと動いていくような感覚が得られるってのを、普段の仕事や人とのコミュニケーションのなかで実感しました。

 

 

「つらい、だから辞める」は嫌だとおもった

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全てが楽しいわけではなかったです。

「やりがい」はあれど、出会いに恵まれど、「つらい」と感じることも多々ありました。

それは仕事の成果がでなかったり、コミュニケーションにストレスが生じたり、単純に体力にきてたり。

そのタイミングごとに「つらい」ポイントはありました。

 

でも、そんときにずっと思っていたのは、

 

「今つらいという理由から辞めたら、ゼッタイ後悔する」。

 

つらいことから目を逸らしたら、ずっと逸らし続けることになる。ずっと後ろを見続けることになる。と。

 

足を挫いたら、挫いた部分がクセになってまた挫きやすくなっちゃうのと同じ、きっとここでつらいを理由に辞めてはいけないなと漠然と思って。

 

逆に「楽しい」と心から感じられたことが、「よし、次へ進もう」という想いのスタート地点になりました。

 

突き詰めたから楽しいと思えた、だからこそ自分自身が見出したキャリアに向かって邁進できると。

 

そんなこんなで、楽しいから辞めようとおもったのは、だからです。

 

クオリティの低い自己啓発本みたいになってしまった。

なんでお前に啓発されなアカンねんっていう。